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湯浅 治久、中世後期の地域と在地領主、吉川弘文館、東京、2002 (Yuasa Haruhisa, Regions and Local Rule in the Latter Medieval Period, Yoshikawa Kōbunkan, Tokyo, 2002)
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湯浅 治久、中世後期の地域と在地領主、吉川弘文館、東京、2002 (Yuasa Haruhisa, Regions and Local Rule in the Latter Medieval Period, Yoshikawa Kōbunkan, Tokyo, 2002)
「同名中」は、村落に若党や中間などの被官、すなわち「侍」身分を設定してゆく。 菅浦や今堀といった惣村にも武家の被官となる者が存在し、惣村が決して領主支配の「真空地帯」ではない点である。菅浦の隣庄・大浦には、寛正期すでに代官松平氏の被官がいるが、彼は大浦の村人に殺害されている。また、天文期の浅井氏家臣である仲村儀種(のりたね)は、やはり大浦上庄により被官を殺害されている。仲村氏は、浅井長政の「扱い」にことを任せるが不調で、自ら百姓を尋問せんとしたが百姓側が出向かないため家に放火し、さらに浅井氏の糾明を要請している。これらからは、武家の被官を殺害する程の村の武力が存在すること、そしてそれが大名までを巻き込む紛争を引き起こしていることがわかる。(228-229) (Elimination of daikan by village `martial ability`) 近年の身分論は、村落や武士といった社会集団が自生的に身分を形成することを重視するが、この場合、いわば地縁の論理が創り出す村落内身分と「同名中」といういわば家中の論理が創り出す。近年、村落上層が「侍」に階層として結集し、様々な職能的機能を有した上層身分として、村落の自立性を保証している、とする新しい「侍」身分論が提起されていることに注目する。この「侍」身分の特徴は、在地に横断的な階層としての「侍」身分(=衆としての「侍」)が形成される契機が独自に存在することを重視し、村落での「侍」身分の形成を、百姓層の上昇指向とのみ捉えない点を大きな特徴としている。(229) 従来の「侍」は「下克上」の旗手として上昇転化の象徴(しょうちょう)と位置つけられてきたが、それとは明らかに異なるもととして、こういわば、“衆的「侍」身分論”を評価する必要があるだろう。 戦国期の百姓身分が武家の主従制的な支配を拒否する論理を有することが指摘された。堅田の浄土真宗本副寺―この論理は、惣村が被官化を拒否する論理として位置つけられ、一方で進行する被官化という事態との関連が問題とされた。しかし、百姓が「衆」として「侍」を形成する道が独自にありえたのである。これは他ならぬ「堅田惣庄」において、「惣庄」を構成する上層の者が「堅田諸侍」として鴨御祖社の「侍」身分を主張している事実自体が示している。つまり、「本福寺跡書」は村落の一方の論理を述べているにすぎず、一方で彼らは「侍」として「衆」を構成していたと考えてよいだろう。(Hence there are two trends visible in the subject of `samurai` within villages of the late Medieval era – the first are villages whose samurai submitted to outside authority in a `master-servant` relationship as deputies of those outside forces, the second are villages whose `samurai` resisted outside imposition of authority and maintained a certain independence).(230) |
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